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TOKYO2020 SMBC三井住友銀行 ひとりひとりが日本代表

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CHIE YAMASHITA

山下 千絵 選手

陸上競技(100m、200m T64クラス)

PROFILE

1997年生まれ、神奈川県出身。小学4年生の時に交通事故で左足膝下を切断し、義足での生活となる。5歳から続けていたテニスを中学で再開、高校時代には東京都ベスト 8 進出を果たす。大学時代に走高跳の鈴木徹選手のゲスト講義を受けたのをきっかけに競技用ブレードに興味を持ち、陸上競技を始める。競技のかたわら、小学生向けの「義足体験授業」や講演などに積極的に参加し、障がい者スポーツの認知向上にも積極的に取り組んでいる。

PROFILE

1997年生まれ、神奈川県出身。小学4年生の時に交通事故で左足膝下を切断し、義足での生活となる。5歳から続けていたテニスを中学で再開、高校時代には東京都ベスト 8 進出を果たす。大学時代に走高跳の鈴木徹選手のゲスト講義を受けたのをきっかけに競技用ブレードに興味を持ち、陸上競技を始める。競技のかたわら、小学生向けの「義足体験授業」や講演などに積極的に参加し、障がい者スポーツの認知向上にも積極的に取り組んでいる。

INTERVIEW

ブレードの「かっこよさ」に魅せられて

ぴょんぴょん走れたら、きっと人生が楽しくなる

小学4年生の時、交通事故で左脚の膝の下から先を切断しました。道路の反対側に停まっていたバスに乗りたくて横断歩道を渡ろうと急いだら、死角から現れたトラックに脚を轢かれてしまいました。事故の直後は、5歳からやっていたテニスがもうできないかもしれないということと、翌日にリレーの選手の選抜があったのに、それに出られないという2つのショックに打ちひしがれました。

それから義足での生活が始まりましたが、いじめに遭うかもしれないと思い、複雑骨折という話にして、小学校を卒業するまで友達には義足のことを隠していたので、夏でも毎日ズボン姿で過ごしていました。中学に入ってからは、黙っていることがしんどくなってきたこともあり、義足のことをクラスメイトに伝えてみたところ、「あ、そう」とあまり気にしていない様子だったので、義足であることを打ち明けやすくなりました。
スポーツに関しては、小学校の頃はどうせできないだろうと思って体育の授業も見学していましたが、中学ではテニス部に入り、体育の授業も出るようにしました。部活も体育も、やってみると「あ、意外とできた」という感じでした。むしろ激しく動きすぎて頻繁に義足を壊し、義肢装具士さんに迷惑をかけてしまうほどでした。テニス部は高校卒業まで6年間続け、常に学年トップを維持し、部長も務め、東京都でベスト8までいくことができました。
大学では、障がい者スポーツの発展に貢献したいと思い、スポーツ健康学を専攻しました。大学2年生の時に、義足の走高跳の選手である鈴木徹さんのゲスト講義を受ける機会がありました。鈴木選手の競技に取り組む映像を見せていただいた時に「なぜこの人はこんなに跳ねられるのだろう?」と強く興味を惹かれました。さらに、鈴木選手がお話されている姿がとても楽しそうで「ぴょんぴょん走れたら、きっと人生楽しくなるだろうな」と直感的に思いました。これが、陸上競技の義足「ブレード」との出会いでした。

フレンドリーなアスリートでありたい

義肢装具士さんから、ブレードをレンタルで体験できる「ギソクの図書館」というプロジェクトを教えてもらい、担当者の方を紹介してもらいました。そうしたら、レンタルではなく「1つ提供するので、イベントに参加してもらえませんか?」と頼まれ、快諾しました。
ブレードはいただきましたが、最初はアスリートになろうという気持ちはまったくなく、ブレードのしなりを感じながら風を切って走ってみたい、くらいのレベルでした。練習を積むようになると、ベテランアスリートのブレードを扱う技術の高さに驚き、私にはなぜできないのかと悔しく感じ、1秒でも速く走れるようになりたい、と本格的に競技に取り組むようになりました。

車椅子を使う競技など、他にもできる競技がいろいろとあるなかで私が陸上を選んだ理由は、ずばりブレードの「かっこよさ」です。鈴木選手や「ギソクの図書館」に訪れた選手たちが使用していたブレードがかっこよく、憧れました。

現在、国内での私のクラス(T64:下肢切断・機能障害)は100mを3人で争っています。私はスタートがあまり得意ではなく、いつも遅れがちなのですが、2021年4月の国内大会では、スタート精度の高い1位の選手とほぼ同時にスタートできました。結果は2位でしたが「練習の成果が出始めている」と自信がつきました。レース後に1位の方に「並ばれて、焦った」と言われたときは「よしっ!」と思いましたね。

現時点では東京2020パラリンピックへの出場は難しいかもしれませんが、まずは0.1秒でもタイムを縮めるために練習を積んでいます。そして、2022年に神戸で開催される国内大会で表彰台に上がることを目標とし、さらにパリ2024パラリンピックでは金メダルを獲りたいと思っています。

講演活動も行っていますが、義足の体験授業や小学校の講演などに次々と呼んでいただき、自分が発信すること、話すことが好きだということを知りました。そして、もっと子供たちにいろいろなことを知ってもらいたいと強く思うきっかけになりました。
選手としてのストイックさやカリスマ性も大切だと思いますが、私はフレンドリーなアスリートでありたいと考えています。自分が将来活躍して世界で1位になったとしても、出会う人に身近に感じてもらえるような、そんな選手でいたいですね。
今後も選手活動と並行して、講演活動も積極的にやっていきたいと考えています。

戦歴

2018年
第29回日本パラ陸上競技選手権大会 200m
1位、100m 3位
2019年
第30回日本パラ陸上競技選手権大会 200m
1位、100m 3位
2019年
2019ジャパンパラ陸上競技大会 200m
1位、100m 2位
2020年
第31回日本パラ陸上競技選手権大会 200m
1位、100m 2位
2021年
第32回日本パラ陸上競技選手権大会 100m 2位
2021年
2021ジャパンパラ陸上競技大会  200m
1位、100m 2位
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